◆フレッド・ハーベイ スタイル (今日はウンチク)

フレッド・ハーベイは1835年生まれの英国人で、1850年、15歳の時にアメリカへ渡りレストランで働き始めます。 南北戦争(Civil War)後は西進する鉄道と共に、約20年間鉄道事業に携わってきましたが、そこで彼は飲食業の質の改善を痛切に感じました。 1870年にサンタフェ鉄道の社長と出会った彼は、1876年に最初のレストランをカンザス州のトピカ(Topeka, KS)に開業します。 そのレストランの質の高さを評価され、その後はサンタフェ鉄道沿線にレストラン、列車食堂、ホテルなどの事業を拡大し、サンタフェ鉄道の質の高いサービスに貢献し、彼のレストランも「ハーベイハウス(Harvey House)=最高の食事」、といわれるまでになりました。 彼のレストラン、「ハーベイハウス」では多くの女給が働いていました。 彼女らは「ハーベイ・ガールズ」(Harvey Girls)と呼ばれ、「ハーベイハウス」の特徴のひとつとなっていました。 この当時、女性にはほとんど就職先がなかった中で、破格の待遇であったそうです。 当時の月給が17ドル50セント、食事、部屋、制服が支給されていました。 彼女たちは非常に人気があり、ハーベイハウスの中でも重要な存在であったといわれています。 人気者であった証拠に、1946年には彼女らの活躍を描いた「ハーベイ・ガールズ」(Harvey Girls)というタイトルの映画が製作されたりもしました。 その後の旅客航空機の台頭はサンタフェ鉄道にも影響します。 第二次世界大戦中の軍事景気や、1950年代のブームなどで一時的に事業が潤った後は、旅客列車と共に凋落の道を進み、1968年にフレッド・ハーベイ社(Fred Harvey Co.)は終焉します(フレッド・ハーベイ社の名は消えましたが、他社に買収されたので、今もその伝統は受け継がれています)。 サンタフェ鉄道の駅にあったハーベイハウスは閉鎖されましたが、今でも多くの建物が現存しています。 ハーベイハウスはスパニッシュ風の建築様式を採用した特徴のある建物で、いくつかのハーベイハウスにはスペイン語で独自の名称が付けられています(例: カリフォルニア州バーストー駅は「Casa Del Desierto」)。 アムトラックのサウスウェストチーフ号はフレッドハーベイとサンタフェ鉄道が色濃く残る地域を走り、乗客は往時を偲ぶことが出来ます。

この、フレッド・ハーベイという名前は、インディアンジュエリーにとってもとても重要な名前です。というのは、彼の経営するレストランや、鉄道の駅でインディアンジュエリーが売られ、人気がでることで洗練され、アート、ジュエリーとしての地位を確立していったからです。

それと同時に、フレッド・ハーベイスタイルと呼ばれるデザインのジュエリーも誕生しました。元々は彼のお店で売られていたようなデザインのことです。1950年代くらいまではこのクラシックなデザインを踏襲したものが多く作られ、いまでもビンテージとして残っています。

この作品は、典型的なフレッド・ハーベイ スタイルの作品で、おそらく1940年代のはじめ、いまから70年くらい前のものです。

石は、ネバダのゴドバー鉱山のものと思われます。実はこのタイプの作品は、割といまも残っており、とくにブレスレットが多いです。Koyukiではなるべくお安く当時のものをお届けしようと考えています。

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